朝日住宅株式会社
会長
 北川 勝美
[プロフィール]

真似できない。
話を伺うなかで、これほどに自分を小さく感じたときはなかった。私が若輩者だということを差し引いてもである。
その人は北川勝美。朝日住宅株式会社 代表取締役を務め、平成8年に黄綬褒章を受章し、平成14年6月には公正取引委員長表彰を受けた人物だ。
失礼を承知で申し上げると、あらゆるものに信用を失っている今の日本において、これらの功績がどのような意味を持つのか正直なところわからなかった。
しかし、北川氏の口から語られる歴史と思いの言葉から、私の浅はかさに反省を強いられるには大した時間を要さなかったのである。まるでお釈迦様の手のひらの上でひた走る孫悟空であると気づかされた。
北川氏の言葉は流暢な魔法の言葉なんかではない。まさしく正直をつらぬいてきた人生そのものであった。
そんな3時間に及ぶインタビューを短くまとめるなどもったいない話だが、この感銘を精一杯ご紹介する。
北川氏「父親が大工でした。そんな父に大工として18歳で弟子入りしたのですが、24歳の時に父を亡くし、25歳で独立することになったのです。多くの失敗をし多くの人に助けられてきました。そして宅地造成と分譲に力を注いできたのです。
そんな北川氏が昭和57年、宅建協会の会長に就任したとたん、住宅分譲をパタリとやめてしまったそうである。会長就任中の12年間もである。私は耳を疑った。地位を利用して私腹を肥やすことが世の常でないのか?日本全国そんなことで麻痺しきっているように思うのだが。
北川氏「不公平になるやろ?会長をやっていると全国の人が頼ってくるわけや。そうすると相談にのるわけやけど、実際の仕事も会長のところでと言ってくださる。でも私にはそれがでけん。会員の皆さんに申し訳ないやろ。だからすっぱりやめたんや。
その間は注文住宅のみを請け負っていたそうだ。そして大きな公的枠の中で大きな事をなしとげてきた。(財)不動産流通近代化センターの設立、不動産公正取引協議会の設立、月間かがわ不動産ニュースの創刊等々、紹介しだせばきりがないが、今当然のように存在し浸透している偉業である。
まさにこの12年間を無私無給でつくしてきたのである。「一点集中型ですね」と問いかけるとそっと微笑まれていた。

 
北川氏「会員さんには父ちゃん母ちゃんの小さな商いのところもあれば、超大手のところもある。普通やったら大手が有利なわけやけど、そんな中でいかに情報を平等に伝えるかがんばってきた。
そしてぽつりこう付け加えた。
とにかく正直をつらぬいてきた
この静かな言葉こそが氏の全てを表現するにふさわしい。
話を伺っている間、語られる言葉の中には終始悟りのようなものを感じずにはいられなかった。どうしてそこまで思えるようになったのか、これを聞かずには帰れないと思ったとき、こう切り出してくれた。
北川氏「28歳のときにな、高いところから落ちて死にかけたんや。肝臓もさけて、背骨にもヒビが入って、長いこと入院した。もうあかん思うたのに助かってな、そん時に生きる目的を持ったんや。こん時にもな、たくさん人の世話になった。
そしてこうしめくくる。
人は持ち合いや。自分ができるときは人に与えな
そう、この言葉を裏付けるエピソードをたくさん伺ってきた。そして私へのはなむけのように語ってくれたこの言葉は人生の師から与えられたエネルギーのように思う。
自分のもってることは出し切ってきた。悔いもないし欲目もない。ただ自分への挑戦は忘れたらあかんな

そんな氏へ、長い経験と正直一辺倒に裏付された住宅のこだわりを伺った。
北川氏「住宅は造成と基礎、湿気対策が大切や。造成はできるだけ大きくやらないかん。基礎は船のように建造せな転覆するんや。湿気対策やな。これに手を抜いたらあかんで。あと、体に悪いものはいかん。だからウチの壁はベニアやのうて全部無垢板なんや
そして強く訴えた。
北川氏「ウチはとことん説明させていただく。隠すことなんか何も無いからな。お客様にはとことん納得してもらいたいんや。
ここにも「正直をつらぬいてきた」北川氏の気概が感じられた。
話を伺い終えた私はすっかり北川ファンである。是非読者の皆様も会える機会を作ってみてはいかがだろうか?




(聞き手 大倉秀人)